腰痛と膝に悩まされた土日/人体が消耗する理由とは

近頃更新頻度がますます低下している当ブログだが、膝の痛みというか違和感が消えず明日ようやく整形外科に行くことにした。

おそらくだが普段の歩き方や洗面・洗顔の仕方が良くなかったのだろう。膝の前側に異変が発生しているようだ。

おまけに膝をかばって歩いているうちに今度は腰を痛めてしまい、昨日今日と腰痛に悩まされることになった。一応まだ30代なのにこれは酷い…

ただ、ショッピングモールを歩いているうちに良い歩き方のコツをつかむことが出来た。体ではなく足が先に行く感覚で歩けばよかったのだ。

それまでゆっくりとしか歩けなかったところが、この歩き方でようやく普通程度の速さで歩けるようになった。

 

 

さてショッピングモールと書いたが、本当は土曜日整形外科に行くつもりだった。だが整形外科の入り口にやってきたところ、待合室が大混雑で外で待つ人もいるほどの込み具合だった。

おまけに子供の肩を借りながら歩くおばさん等を見て、失礼ながら「あれと比べたら自分はまだマシだな…」と思い、整形外科は月曜日行くことにした。実は今度の月曜は諸事情あって有休を取得しているのだ。

 

その後久しぶりのドライブに出かける。車なら足の問題もないだろう…と思ったが、マニュアル車ゆえ左足でクラッチを踏むたびに膝に違和感が。

こんなところでマニュアル車のデメリットが出てくるとは…。

 

本当は公園を散歩でもしたかったのだが、天気が悪かったこともあり断念。適当に車を走らせ、某大型商業施設にやってきた。

まずは某喫茶店でコーヒーを頼み、ipadで膝情報を調べてみる。だが、調べれば調べるほど色々心配になってくる。

ありえないだろうが、もし靭帯を損傷していたらどうしよう。軟骨にダメージが及んでいたら?まさか手術が必要なのでは?

ただ、私の場合昔から屈伸運動時に膝が鳴るので、軟骨組織がどうなっているのか分からない。

 

適当に読書した後軽く散歩してみたが、やはり膝に違和感がある。腰痛も相まっておじいちゃんみたいな歩き方でゆっくりと館内を回る。

この時ipadと600mlペットボトルと新書2冊を持ち歩いていたのだが、これが地味に効いた。重い。置いて来ればよかった…。

その後スポーツ用品店を見つけたのでサポーターを探してみたら、案外高かった上締め付けが強いものが多く、結局買わずじまい。

このショッピングモールは埼玉県内でもレイクタウンの次くらいに広いところで、とにかく歩く歩く。普通に歩く人はもちろんのこと、ダラダラ歩く地元の高校生にも抜かれる始末だ。

 

その後結局ろくな買い物もせず、ただ歩き回っただけで帰ることになる。

せっかくだからということで遠回りして帰ろうとしたら、なぜか某市の文化会館にぶち当たってしまう。

その後トイレを借りようとするもなぜかマスクが無くなり、館内に入れなくなってしまう。そんな右往左往しているところを地元のオジサンに笑われる始末。

体重は減らすことができたが、ひたすら消耗しただけで1日を終えた。

 

そして今日は午後2時前に起床。10時間近く寝たのは疲れが原因だろうか。

起床直後、腰の痛みに驚いた。まともに起き上がれないほどの痛みである。

靴下すら満足に履くことが出来ない。昨日前かがみで歩いたのが効いたのか、ぎっくり腰並の激痛が襲う。

必死の思いでトイレを済ませ、ネットで腰痛解消の記事を検索。本当にいい時代になったもんだ。

その後凝りもせずショッピングモールへと向かう。メルカリで注文が入ったものの、梱包用資材が尽きてしまったため、補充しなくてはならないのだ。

適当に本を読みながらコーヒーを飲むいつものルーティンをこなし、目当ての資材を買って帰宅。

例の痛くない歩き方を見出したことで、意気揚々とスーパーに入店。

寿司を買って食ってみたら、ウニの中にジャリジャリする謎の物体が入っていた。

吐き出したかったが口の中で混ざってしまい、結局全て飲み込む。相変わらず不運が続く。

 

さてさて、普段なら憂鬱な日曜夜ではあるが、明日は有休なので個人的には平和な夜を迎えている。

整形外科でどんな診断が下されるか不安だが、とりあえずはダイエットした上で膝の筋肉を鍛え、きれいな姿勢で歩けるようになることが第一歩だろう。

 

人体が消耗する理由とは

この土日で痛感したのは、人間の身体は所詮消耗品だということだ。健康体でも50代60代になると膝の軟骨がすり減り、痛みを発症する確率が上がる。

動物にとって歩くという機能は非常に重要なはずだ。野生のサバンナで歩けなくなったら食べ物にありつくことも出来ず、捕食者からも逃げられない。

そんな重要な機能が早ければ40代ごろから支障が出てくるというのは、人間が抱える生物学的な「欠陥」と言える。

なぜ人体にそんな時限爆弾が仕掛けられているのだろう。

神目線で見ると、本来人間の身体は60年程度しか持たないように出来ているのかもしれない。

もちろん今は医療技術の発展により人工関節に置き換えることも可能だが、

本来歩けなくなった時点でその人は「寿命」なのではないだろうか。

そんな訳で今後もサラダ生活は続きそうだ。