【暇つぶし一人旅】北関東を巡る旅 高崎編

そんなわけで猛暑が続いているわけだが、こう暑いと徒歩やバイクはもちろんのこと、車ですら乗りたくなくなる。想像してみて欲しい。炎天下の中、渋滞にはまりながらエアコンをガンガン効かせて排ガスを垂れ流す車を。もはや地獄絵図だ。それなら電車やバスの方が気楽だし、環境にもいい。そんなわけでまたしても鉄道で出かけることにした。

(この記事は8月に執筆していたものですが、諸事情あり公開が遅れてしまいました。少し前の記事であることをご了承ください。)

 

どこに向かおうかと考えた結果、私の出身地である足利方面に行くことにする。前回帰省した時は市街地まで行かなかったし、伊勢崎とか東武鉄道末端部がどうなってるかも見てみたい。Googleストリートビューで見た限りでは太田駅周辺も変貌したようだが、その辺も気になる。

 

そんなわけで、久喜駅までは半蔵門線東急田園都市線直通の10両編成の急行に乗車。外はうだるような暑さだったが、列車の中は快適そのもの。列車に乗ったのは昼15時頃で閑散としてるかと思いきや、案外乗客が多い。10両編成は久喜駅止まりで、ここからは6両編成の列車となる。車内は立ち客が少しいる程度。次の鷲宮駅で乗客が一気に降りていったが、ギリギリ座れない状態が続いた。

加須駅で特急の待避を行うため、しばらく停車する。何となく後ろの方の車両を見たらガラガラだった。なんだ、最初から編成の後方に行けば良かった。

座席に座り、何となく景色を眺める。夏の日差しに照らされて強烈な色彩を放つ植物と、赤い車。私も赤い車と赤いバイクに乗っているが、ビビッドな赤色といえば何といってもイタリア車だろう。フェラーリはもちろん、フィアットの500もいい。私のベスパもどちらかといえばフィアットっぽさを感じるデザインだ。

話がそれてしまった。ここは学生の頃下宿と実家の往復で何度も通った路線だが、当時から車窓はあまり変わっていないように見える。強いて言えば、少し設備が老朽化したような印象だ。子供の頃は綺麗だと感じていた加須駅の駅舎も少しくすんだように見える。あと外国人が増えた。私が乗る車両にもアジア・中東系が数人乗っている。この近くのイオンモール羽生には車が大挙して押し寄せているはずだが、20分間隔で走る6両編成の車内はかなり余裕がある。人口は決して少なくないのに、皆鉄道を使わない。まさに車社会だ。

羽生を過ぎると乗客は更に減少する。見たところ若い人と高齢者が多いが、スーツ姿のおじさんもいる。雄大利根川を渡ると川俣駅。ここは駅前に真新しい建物があった。聞けば川俣駅がある明和町は立地工場からの税収が豊かで、財政が潤っていると聞く。

少しすると分福茶釜で有名な茂林寺前駅。ここは少しくたびれた光景だ。向かいのホームでは、地元のヤンキーが大声で電話していた。その次はこの列車の終点、館林である。館林は昨年10月くらいに散歩に来たことがある。どうでもいいことだが私の元上司(定年退職し、再雇用中)も来たことがあるという。館林は小泉線と佐野線が乗り入れる大きな駅だ。と言っても小泉線も佐野線も本数は少なく、ホームは5つしかない。それも島式ホームに切れ込みを入れた構造だ。その割に広い構内は貨物輸送の名残りである。かつては館林から浅草方面へ最高10両編成の通勤列車が出ていたが、私が聞く限り今は10両編成は定期列車として運行されていないはずだ。列車は減速して広い構内に入り、小刻みに揺れながらホームに入っていった。

 

 

せっかくだし駅舎を観察したかったが、乗り継ぎ列車がすぐ出てしまうらしく、そのまま伊勢崎行き列車に乗り込む。ここからは3両のワンマン列車で、単線区間となる。都心直通の10両編成が走っていた久喜駅を出てから40分程しか経っていないのに、この変貌ぶりは驚きだ。私が子供の頃は伊勢崎から浅草まで直通運転していた。30分ごとの列車間隔が維持されているとは言え、何とも寂しい状況である。

車内は学生と若い女性、スーツの男性もいる。3両とは言えギリギリ座れる程度の乗客数だ。

そんなこんなで出発。この区間を乗車するのは数年ぶりとなる。基本的にはダラダラ走ることで有名な東武鉄道だが、館林から多々良までの区間はなぜか結構な速度を出す。これは昔から変わらない。車窓は足尾山地の山々が近づいてくる。関東平野の末端部も近い。

多々良駅の北側には牧場があり、牛が草を食べるのどかな風景が見えたが、だいぶ前になくなり、ただの空き地になっている。

多々良を出ると田園地域を走り、浅草側から見て初の無人駅となる県駅。ここは駅前に数件の民家しかなく、一見利用者なんていなさそうだが、少し離れたところにそこそこの集落がある。また近くに高校があるため、朝夕は学生の利用者が多いのだ。最近工業団地の造成が始まったことで、駅前風景も変貌しつつある。ここで特急列車とすれ違う。

列車は更に田園地域を走り、福居駅に到着。福居駅は広い構内が特徴的だが、余分な設備が取り払われてからは大分寂しい光景になってしまった。今度は普通列車とすれ違う。

その後すぐに東武和泉駅に到着。ここは伊勢崎線唯一の棒線駅だ。ここは工業高校の最寄駅で、私の同級生も何人か通っていた。

車窓は高層マンションや商業施設が目立つようになり、高架を上がると渡良瀬川の対岸に山を背景とした旧市街が見える。この景色は通学中に何度も見た光景だ。私が子供の頃は5階建のキンカ堂がランドマークだった。それが私が中学か高校あたりでNPOの施設になり、社会人になる頃には取り壊され結婚式場になっていた。今は白鵬大足利高校で工事中らしい。ここも私の同級生が通っていた。彼曰く「一夜漬けで勉強したらクラス1位になった」と自慢していたが、本当だろうか。ともかく、足利市駅に到着すると乗客が一気に降りていく。

それから高架線のまま山を回り込んでいき、野州山辺駅に着く。駅前はスーパーを中心とした商業施設とパチンコ屋があり、広大な駐車場を備えている。これならパークアンドライドに使えそうだが、利用出来るのだろうか。

その後すぐに地上に降りて田園地域に戻り、韮川駅に着く。ここで再び特急列車とすれ違う。韮川駅を出ると巨大な工場と立派なビルが見える。おそらくスバルの工場だろう。高架線になると立派なビルが一層良く見える。

太田駅伊勢崎線小泉線桐生線が乗り入れる。館林と同じく3路線が乗り入れるターミナルだが、館林と異なるのは高架化されたこと、そして小泉線桐生線が一体的に運行されており、2面4線しかないことだ。私が子供の頃、呑龍に行くために太田駅を利用したことがあるが、随分小綺麗になったなと感じる。駅前には大手ホテルも出店し、きれいに整備された地方都市という印象だ。実際太田市は人口増加が続いており、人口規模は高崎・前橋に次ぐ3位。群馬県東部の中心都市の役割を担う。衰退が続く桐生・足利と好対照だ。ここで乗客がそこそこ入れ替わり、乗客数は微増した。太田を過ぎると休日昼間は1時間に1本まで本数が減る。埼玉南部に高架複々線を有する路線とは思えない変貌ぶりである。ただ3両編成はガラガラだろうと思いきや、全員が1人分の間隔を開けて座ればちょうど席が埋まるくらいの状況である。私みたいな暇人が座席を独占するのも忍びないので、さりげなく立ち上がり最後尾から後方の車窓を眺めることにした。

太田駅を出るとすぐ高架線を降り、何の変哲もない住宅地に入る。ここはほとんど土地勘がないのでひたすら農村と畑、時々工場という印象しかない。だが重要なのは、住宅は決して少なくないし車はバンバン走っているということだ。

 

両毛地域は日本全国で見ても車社会化が高度に進んだ地域である。なぜこれほど車社会化が進んだのか。理由は色々あるだろうが、両毛地域の事情と工業化が挙げられると思われる。

詳細は後で書こうと思うが、両毛地域というのは人口5万~20万の都市が分散しており、その間を埋めるように広大な田園地帯が広がっている。古くは桐生・足利で織物業が盛え、この地域を中心に栄えていたが、東京都心からそこそこ近いという利点もあり、郊外に多くの工場が設立された。郊外にあるので、大半の人は車通勤をする。また都市が分散しているため鉄道利用者が増えず、結果的に両毛地域は車社会化した。車社会はほかにも多数あるが、特筆すべきは都心からの距離と人口の多さだと個人的に分析している。

 

また話がそれてしまった。ここは昔から本数の少ない区間だったが、列車交換設備はほとんどの駅で整備されている。境町駅付近は小さな商店街があるが、それ以外は駅前が発展しているわけでもなく、淡々と農村が続く。それでも乗客の乗り降りは少人数ながらコンスタントに続いていた。剛志駅のあたりで高架線を上り、国道17号上武道路を越える。遠くに伊勢崎の新興住宅地が見えた。駅前に住宅地を作ればいいのにと思ってしまうが、そこはやはり車社会といったところか。

新伊勢崎駅手前で再び高架を上ると、空き地のままの駅前広場が見えた。これから何か整備するのだろうか。遠くには相変わらず住宅地やマンションが見えるが、駅前が特に発展しているという感じではない。駅前より郊外が賑わうという車社会の構図がここにも見える。新伊勢崎駅を出ると、すぐ東武伊勢崎線の終点・伊勢崎駅だ。

ここはJR両毛線に接続する。伊勢崎線という名が付いてるのだから随分栄えているのだろう…と思ったら、ぶっちゃけ太田の方が栄えている印象だ。ここも太田同様高架化されている。なぜこうも高架化したがるのかと疑問に思ったが、これもやはり車社会化の影響と言える。車の交通量が多ければ、少し踏切が閉まっただけですぐ渋滞してしまう。鉄道で何か障害が起こりノロノロ運転でもされたらもう大変だ。鉄道によって街が分断されている!早く高架化しなくては!と言われるのも当然の流れである。私が住む春日部もまさに高架化工事が進行中だが、車社会化した地方都市ではとにかく高架化が求められるのだ。

改札階に降りてみると思ったよりもこじんまりとしている。駅の通路は広いもののコンビニくらいしか見当たらず、がらんとしている。ここにも栃木駅同様ストリートピアノが置かれていたが、演奏してる人はいない。

駅の外に出てみるとミスト噴射装置が霧を放っていた。しかしそんなものが気休めにもならないくらい暑い。伊勢崎市も真夏は日本最高気温をマークすることがあるくらい暑い街だ。

ここから両毛線に乗り換えて高崎に向かうことにした。ダイヤを見ると高崎行きはあと10分くらいで出るらしい。特にすることもないので改札内に入り、缶コーヒーを買う。飲みながらゆっくり列車を待とうと思いつつホームに上がると、既に211系列車が待機していた。この型式はかつて宇都宮線高崎線をバンバン走っていたが、E231系に駆逐され、今では中古車両としてローカル線に充当されている。両毛線はほぼほぼ半自動ドアになったらしく、ボタンを押さないとドアが開かない。列車に乗り込んでみると若者と外国人が多い。大泉町よろしく伊勢崎も工場で働く外国人が多いと聞く。

 

↓この動画でも紹介されているが、思った以上に外国人が増えてるみたいですね。伊勢崎も大泉も国道354号沿いです。

www.youtube.com

出発するとすぐ高架を降り、再び退屈な田園風景の中を走る。前橋駅の手前、再び高架を上がると見事な山容の赤城山が見えた。このなだらかな裾野を見ると赤城山だな~と感じる。ほんの数ヶ月前、長野県ドライブの帰りに赤城山の麓の道路を走ったが、あの時は前橋の市街地を望むことが出来た。近くに山が全くない春日部在住の私としては、気軽にドライブできる道があるのはうらやましい。そんなこんなで前橋駅に到着。さすがに乗降客は多いが、やはり若者の入れ替わりが激しい。その後複線だった線路は単線となり、北関東で最も高いと言われる群馬県庁(うちの父は分不相応とかボロクソ言ってたが)を眺めながら利根川を渡ると新前橋駅新前橋駅上越線との分岐駅で、駅の広さだけで行ったら前橋駅よりも上だ。そこからはまた複線となる。この高崎-新前橋駅間は両毛線だけでなく上越線吾妻線も重複して運行されており、本数は多そうに見える。こうして前橋を出て十数分後に高崎に到着した。

高崎駅に来たのは数年ぶりだ。しかも改札を出て散策したのは子供の頃以来となる。当時健在だった祖母と来た気がするが、ほとんど記憶に残っていない。

駅の西側に行ってみると中々活気がある。大宮も人は多いが高崎には大宮みたいな猥雑さがない。ペデストリアンデッキも整備されていて、大宮より健全だな

と思ってしまった。何となく東急ハンズに立ち寄り歯間ブラシを購入した。最近歯医者に行ったら歯石が大分付いていたらしく、フロスや歯間ブラシを勧められていたのだ。

駅の東側は巨大なヤマダ電機以外めぼしいものがない。どうやらメインゲートは西口のようだ。暑さから逃れるためゴキブリホイホイの如くヤマダ電機の中に吸い込まれてしまった。中には家電以外にもフィットネス用品や自転車、家具まである。大宮のビックカメラもそうだが、最近は家電だけでは立ち行かないのだろうか。

その後駅に戻り駅ビルを物色する。駅ビルはルミネのような煌びやかさはないが、いろんな店が揃っている。気の利いた居酒屋もあり、思わず入りたくなる。居酒屋の誘惑を絶ち改札に向かうとお土産屋があった。せっかくなのでせんべい類を買い、そのままホームに向かった。

ホームで買った缶コーヒーを飲みながら出発を待つ。10両編成の列車はガラガラで、最後尾のクロスシートも余裕で座れる。冷房もしっかり効いてて快適だ。高崎を出た後、本庄あたりで一人乗車してきた以外は熊谷あたりまで乗降がなかった。最後尾だからというのもあるだろうが、日曜夕方の高崎線上りはいつもこんな感じなのだろうか。籠原で5両増結され、15両編成となる。そのうち日が暮れ景色を眺めることも出来ず、スマホゲーム以外にやることがなくなってしまう。桶川と上尾でどかどかと乗り込んできた以外は特に変化もなく、そのまま大宮に到着した。ルミネの総菜屋で適当に弁当を買い、そのまま帰路に着く。

そんなわけで今回は本当に暇つぶしの旅になってしまったが、久しぶりに思い出の地に赴くことが出来て良かった。今度は東武線末端部、佐野線・小泉線桐生線上毛電気鉄道あたりに乗車してみたい。