館林旅行記 昔の記憶をたどる旅

今日(昨日?)は大阪でこみっくトレジャーというイベントが催されたという。緊急事態宣言発令中によく開催出来たなという感じだが、まあ相応の対策をした上での開催なのだろう。だがそれを見た瞬間、私も出かけたくなってきた。

最初渡良瀬遊水地を計画したが、天気が悪そうだったので「近くて遠い、前から気になってたけど行く機会がなかった場所」ということで、唐突に館林市に出かけることにした。館林は実家と春日部の間にあり、幼少期はつつじが岡公園やこども科学館に何度か連れて行ってもらったが、成長してからは素通りばかりでまともに街歩きしたことがなかった。そんな訳で思い立ったらすぐ行動と言わんばかりに出かけた次第である。

春日部を出発後、まず久喜駅で館林行き列車に乗り換える。久喜以南は東京メトロ半蔵門線東急田園都市線直通の10両編成最新鋭の列車が走るが、久喜を境に6両の使い古した車両に変わる。その6両も羽生を過ぎるとガラガラだ。

館林駅に近づくと、幼少期とはだいぶ形の変わった駅が待ち構えていた。随分近代的な駅舎になったな…と思ったら、その隣に昔の駅舎がちゃっかり残っている。旧駅舎の隣に橋上の新駅舎があるという、中々カオスな構造だ。駅前の観光案内所には「宇宙よりも遠い場所」のポスターが。そういえば館林が舞台だったな…。

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とりあえず駅前通りをストレートに進むことにした。目的地は特に定めておらず、本当に行き当たりばったりだ。暇人だからこそ出来る旅行スタイルである。駅前通りは地方都市らしく若干寂れているものの、関東平野にありながら適度な坂があり、どことなく風格を感じさせる。小さな神社に立ち寄りつつ直進を続けると、館林市役所に着いた。駐車場には随分と車が止まっているが、近くの公園の利用者だろうか。

さて、ここにきてバスのことが心配になってきた。当初バスで板倉東洋大前駅に向かうことにしていたが、バス停が見当たらない。バスを使うつもりなのにバス停の場所を調べずに来るとは何事かという感じだが、残念ながらネットが使えないために地図を調べることも出来ない。

と、そんな中館林市立図書館の案内板を見つけ、図書館なら何か情報があるだろうと踏んだ私はそこへ向かうことにした。その直後、図書館に向かう途中の市役所前にバス停があるのを発見。ひとまず安心した。

さて、次のバスまではあと1時間少々あるらしい。図書館に行けば1時間くらい余裕でつぶせるだろう。

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館林市立図書館は若干古さを感じるものの、インフラや蔵書数は充実していた。正直言うと春日部の図書館よりも蔵書は充実しているように見えた。見ると地元のライオンズクラブが寄贈しているらしい。コロナ禍で椅子に着席しての読書は出来ないが立ち席があり、そこには丁寧にAC電源まで用意されている。

 

軽く雑誌を読み、日本カメラの表紙写真に圧倒されつつ時間を潰す。少し早いがそろそろバス停に向かおう…と思った直後、通路の先に資料館があることに気づく。開館中で入館無料。まだ時間はありそうなので入ってみることにした。

中は小規模ながら綺麗に手入れされており、貴重な古文書や館林藩の大名を務めた秋元家の甲冑、刀剣が展示されていた。かつての館林城はちょうどこの市役所を中心とした高台に位置し、城沼に囲まれた天然の要塞となっていた。また館林の里沼が日本遺産に登録されたということで、館林に点在する沼や湿地帯についても解説されている。ただ肝心の日本遺産自体の認知度が低く、旅好きの私も知らなかったほどなので、効果は未知数だ。それにしても日本遺産の名称、どれもこれもアド街みたいな名前だな…

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一通り見終わり丁度良い時間になったので、バス停に向かう。外に出た瞬間キンモクセイの香りが漂ってきた。日曜ということで市役所前は人気がない。警備員のオッサンも退屈そうにしている。ただ市役所庁舎の外壁工事の音だけがけたたましく響いていた。

バス停のそばにはベンチがなかったので、少し離れたベンチに座り吞気にバスを待っていると、思いもかけぬ方角から突如バスがやってきて、慌ててバス停に向かう。これを逃すと次のバスは2時間後だ。とはいえバスに乗り込んでしまえばもう不安要素はない。景色を眺めつつ終点まで気楽な旅が待っている。市役所を出発すると、子供の頃よく連れて行ってもらった子供科学館の脇を通過した。私が理系に強くなった理由の一つはこれかもしれない。その姿は20年前から変わっておらず、思わず釘付けになった。もっとも古さは否めないが…。

その後つつじが岡公園を通過。外からしか見れなかったが、ここも小学校の遠足や家族と訪れた思い出の場所だ。その後ショッピングモールで数名乗客を拾う。ここも思い出の場所だ。ここのゲームセンターでシューティングゲームをやったり、当時ハンバーガー1個100円を切っていたマクドナルドで友人と共に爆買いし、3個も4個もハンバーガーを食べた記憶がある。だが当時アピタだったショッピングモールは「アゼリアモール」という名前に変わり、テナントも様変わりしていた。

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その後バスは東北道館林インター方面へ向かう。この調子で板倉東洋大前まで行くのかな…と思ったら、ここでご老人の団体がまさかの乗車。ガラガラだった車内が一気に埋まる。しかも私の前に座った老人が話好きな方で、ずっと大声で話している。その後ろで私は肩身の狭い思いをしつつ、ひたすら車窓の景色を眺めていた。

そんなこんなでバスは数人の乗客を降ろしつつ、終点の板倉東洋大前駅に到着。直線距離にして10kmほど乗ったはずだが、料金はいくら乗っても200円均一。何とも太っ腹である。

ここから東武線で帰るのだが、その前に駅前のフレッセイで食材を買うことにした。フレッセイと言えば群馬県民ならだれでも知っているスーパーマーケットチェーンで、実家から車で埼玉まで戻る際よく立ち寄っている。ここまでほとんど水分を口にしていなかったので、お茶とコーヒー、それにささやかなお土産として館林うどんを購入。

板倉東洋大前駅もモダンで立派なつくりをしている。ここも橋上駅舎で改札前には広いコンコースがあった。この駅が属する東武日光線東武鉄道において非常に重要な観光路線だ。また栃木以南においては通勤路線としての性格も持つ。かつては浅草に直通する通勤列車が頻繁に往来したものの、乗客減少に伴い南栗橋で運行系統が分断され、今では日比谷線の車両を改造したワンマン列車が走っている。ただ南栗橋から東武宇都宮へ直通するようになったのは知らなかった。

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ホームで列車を待っていると、先に説明したワンマン列車がやってきた。だがその直後、急行列車が来るとのアナウンスが。東武日光線はかつて快速列車が走っていたのだが、この急行列車はそれに相当する列車のようだ。もっとも編成は4両に短縮されていたが…

しばらく待つと、急行列車の前に特急列車が猛スピードで通過していった。車内をちらっと見たら、やはり車内はガラガラ。まあ今の状況では仕方ないだろう。

その数分後にやってきた急行列車は、かつて快速として運用されていたあの6050系車両だった。あの車両は老朽化が激しく廃車が危ぶまれたが、私の知らないうちにリニューアルしたらしい。シートをはじめ内装も綺麗になっていたが、古めかしい方向幕は健在。気分は地方のローカル線だ。

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そんなこんなで南栗橋に到着すると、半蔵門線田園都市線直通の10両編成が待ち構え、一気に現実に引き戻される。それから20分後もしないうちに春日部駅に着いていた。そんな感じで今回の館林小旅行は終了である。昼過ぎに出発して夜帰ってくるという、本当に短い旅だった。

以前今回と似た行程をバイクで周ったことがあるのだが、あの時は高速とバイパスであっさり終えてしまい、景色を楽しむゆとりもなかった。今回は鉄道旅とバス旅の良さを実感することが出来た。

また合理化の末に南栗橋と久喜・館林で分断された東武線の実態も見ることが出来た。ワンマン化しつつも本数を維持する東武鉄道の経営努力は中々素晴らしいと思う。コロナ禍で大変だとは思うが沿線民としても応援したいところだ。