宗教は必要か?

某メンタリストの炎上が未だ続いているようだが、最近続発する炎上にうんざりする昨今である。

彼が運営する某サービスも、有料の閉鎖的コミュニテイという点ではオンラインサロンに近い形態だと思っている。オンラインサロンは宗教と揶揄されるが、同じ信念で結びつき、誰かを持ちあげる団体という時点で、宗教的と言われても仕方ないのかなと思う。某プペルさんは否定するだろうけど。そういう点で昨今の炎上は宗教論争に近いかもしれない。

だが私は宗教が悪いものとは全く思わない。宗教とは「幸福とは何か」を定義し、それに向かって実践する団体のことだ。そしてハラリ氏が言う通り人類は宗教のような虚構を信じることでここまで発展してきた。ここでいう虚構とは、論理で真偽を説明できない、もしくは論理が破綻しているとしか思えないものをいう。宗教以外にも哲学的思想、政治的イデオロギー、国家、民間団体、貨幣、企業も含まれる。

だが私が思うのは、人間は宗教なしで良い人生を送れないのではないか?ということだ。

 

まず、人間の理性には限界がある。だがその一方で、人間は世界の真理・原則を知りたがる性質がある。

古来より人類は理性で補完出来ない現象を神や精霊の仕業だと考え、これを共有することで宗教や神話が誕生した。そして交易により多くの神話が入り混じって多神教が生まれ、そこからユダヤ教などの一神教が生まれた。

では何のために真理を知りたがるのかというと、生き残るためだ。近年VUCAという概念が広まってきたが、そういう点でいうと原始時代は今よりもはるかに予測不可能な時代だった。何しろいつどこから猛獣が襲ってくるか分からないのだから、明日生きていられる保証はどこにもない。そのため原始人にとって世界の真理を知り不測の事態に対処することは死活問題だったのである。

しかしながら、生きるための手段であった虚構は、人間社会を発展させる道具にもなりえた。なぜなら虚構を用いた信用システムによって生産性向上がもたらされたからだ。

大きいのは「貨幣」の発明だろう。当然ながら貨幣それ自体に対した価値はない。一万円札を作るための原価は1枚あたり数円程度しかかかっていないはずである。所詮「この貨幣にはこれだけの価値がある」という取り決めを行っているに過ぎない「虚構」の一種である。

それまで人類は食糧を自力で確保するか、物々交換するしかなかった。だが「この貨幣にはこれだけの価値がある」という取り決めを行ったことで価値交換が容易となり、狩りを専門とする人や農耕を専門とする人が現れた。これにより分業が進み、社会全体の生産性が向上したのである。繰り返すが、これは貨幣の価値を信用することで成立するシステムだ。

そして自力で狩猟採集する必要がなくなった人は、余暇を利用して新たな価値を生み出すようになった。現代文明は、そういった虚構の上に成立しているのだ。現代社会において虚構を一切信じず生きることは出来ない。

また、科学が発展した現代においても理解の及ばない領域がたくさんある。これについてはカントの「純粋理性批判」の議論が分かりやすい。人間の理性で理解できない問題をいくら議論しても無駄なのである。

 

ちなみに余談になるが、量子論も人間の理性で理解できるギリギリのラインではないかと思っている。

まず量子論においてはトンネル効果や量子もつれなど直感的に理解しがたい理論があるが、これらは実験によって事実だと証明されている。

また量子力学の数式は数学的に導き出されたものだが、その出発点は黒体放射の式だ。この式は論理的に導いたというより、ボーアが実験によってデータを測定し、その結果から実証的に導き出したものだ。つまり実験結果を数式化したものであって、既存の数式から数学的に導いたものではない。

 

また、人間だれしも幸福を求めているが、幸福とは何か?ということは宗教しか教えてくれない。幸福論も論理で説明できない領域だから、虚構を用いて考える以外にないのである。宗教など要らない!という人もいるが、宗教なしで生きようとすると、

  1. ひたすら欲を満たすことだけを考えて生きる
  2. 家畜のように死ぬまで淡々と生きる

この2択を迫られる。どちらも人間らしい生き方とは言えないだろう。

人間は「自分は正しいことをしている」と認識すると、幸福を感じるように出来ている。その「正しいこと」を与えてくれるのが宗教なのだ。つまり宗教なくしては人間らしい健全な幸福感は得られないことになる。宗教を否定する人は幸福になれないし、ある意味「宗教を否定する宗教」を信じるという矛盾を抱えてしまう。

 

かなりまどろっこしいことを書いてしまったが、一言でいえば「オンラインサロンやそれに類する集団は宗教に限りなく近いけど、人間には宗教が必要だよ」ということになる。

もちろん宗教もピンキリで、不幸をもたらす団体も存在する。基本的に金儲けを目的とした団体は悪い宗教と考えてよいだろう。ここでいう金儲けとは信者からの集金に限らない。現代は手数料や広告収入など、マネタイズの手段が多岐にわたる。主導者がどれだけポケットに入れているか不明確なら、そこに入るのは止めた方がいいだろう。